ドラゴンの鬱病闘病日記

サラリーマンドラゴンのうつ病闘病日記です、人生観や日々の気持ちなどを細々と書いていこうと思います。

現在編

長かったと思う過去編はとりあえず終わりで現在編に行く


現在自分は職場復帰をしてなんとか日常生活を送れているが病気もあり家がなかなか片付けられずゴミ屋敷と化してきた現実があり辛い。

そして別に自分だけの荷物なら問題ないが1年前まで一緒にいた3人が一年足らずで消えた部屋やその当人たちの荷物があり1人では片付けられずどうしたらいいのか途方にくれる毎日、そしてその現住宅を退去しろと言われ悩む毎日理由を言っても理解してくれない。

そして職場でも居場所がない、まぁ24歳の人間が祖父母の手続きや弟の学校で会社を休むなんて普通ではなかなか無いから怪しまれるのは分からなくもないがこれが自分の現実なんだ、正直理解されないのは辛い。


そうして毎日神経をすり減らしながら会社に向かう自分に嫌気がさして最近はあまり考えたくはなかったが自殺まで考え始めている、死んでしまったら終わりかもしれないが毎日追われる片付けや色々な手続きからも逃れられるのではと思う自分がいる、こんな気持ちや葛藤を気軽に相談できる相手がいればといつも思う、本来はそれを先生に話すべきなのだろうがなかなかそれができない。


明日は朝が早いから今日はここまで、また朝起きたら書こうと思う。そしてこれからは毎日続けて気持ちなどを軽く書けて行けたらと思う。

受診編

今回は受診から現在までを書いてみる


今年の1月に勧められてやっと受診する、思ったよりも人生を語ってみると重症らしく入院を勧められた。しかしながら祖父の施設の手続きや弟の手続きや自分の会社でそんな簡単に入院するわけにもいかず5月までは薬をもらいながら通院していた。

そして5月になり少し手続きや会社との折り合いがついたので入院してみた(1ヶ月のみだが)

まぁ入院してる間も会社のことや家族のことが頭から離れなかった、これは退院した今でもそうだ(先生にはあまり相談できていない)


そして6月から職場復帰はしたもののなんとなく居場所がなくなったように感じる、ここ1ヶ月転職も考えているが転職する金がない。

弟の施設の支払いなどでお金がたまらない、なんとか食費などを切り詰めてはいるがそれも限界があるどうしたらいいか正直わからない。


まぁ受診編を簡単に書いてみた、次回からは現在編を日々の気持ちも交えて書いていこうと思う

プロフィール(社会人編2)

祖父が緊急入院して弟と2人暮らしになる、そこからは仕事も抱えながら弟の学校や祖父の面会や色々な手続きに追われていた。


主に弟の話をしよう、弟は去年ちょうど中学三年生で高校受験を控えていたがしかしどうも学校に行って三者面談などをすると普通の子よりもできないことが多い。高校の説明会にも1人で行けなかった、先生には特別支援学校を勧められた。

仕方なく特別支援学校への手続きを進めてみるとこれが大変だった、ちょうど試験も間近で色々なことに追われながら弟がなかなかやらない家事も抱えて自分が段々疲弊して行った。

そこで地域の支援センターに仕方なく電話をしてみた、児童相談所に行き判定をしてもらった、そして弟は今年の4月から児童養護施設に行って地元の特別支援学校に通っている。


自分が精神科に通うきっかけになったのは弟の手続きやらで疲弊して地域の支援センターに駆け込んだ頃からお世話になっている相談員さんや地元の民生委員さんの勧めがあったからだ、特にタイミングよく民生委員さんが務めていたのが精神病院だったというのもある、勧めを受けて気は進まなかったものの受診したのが今年の1月である。


今回はここまで、次回は受診から現在までを簡単に書く